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写真と珈琲

旅行について

初めての一人旅は前回も書いた帯広だったのだろう。
たった1人で車を走らせ特に目的も持たずに走り回って。
そんなスタイルが好きだとずっと思っている。

フリーター生活での旅行はそれくらいだったけど、
田舎に戻って、東京の往復をして、カメラと仕事。
連休の・・・・
と思って、車で国内を巡ることにした。
都会の人も大好きだった。
地方には地方の誘惑と景色の中に溶け込む人々の息吹があった。

33歳の歳だろうか。
青森県を旅した。
今もそうだけど、「新宿」が常に写真のキーワードであって、
行きたい場所はどうしても地方の歓楽街や路地裏になってくる。
「第三新興街」が初めての地方路地裏となった。
昼間はただの寂れた飲み屋街。意外と夜は活気があった。
詳細は述べないでおこう。
知る人は知っているし。ただ、そこに生きる人たちは迫力に満ちていたのを
覚えている。また、今日1日を精一杯生きている人もいた。
買われている女性を目にしたのも事実だ。

裏路地って今では結構クリーンなイメージで若者が新しいことを始めるには良い場所かもしれないがほんの数年前、いや今でもB面が残っている場所でもある。
青森の夜は本州最果て感もあり、真夏であったが、夜になると早々に秋風が吹く土地でもった。

翌年は、三重県和歌山県を旅した。
もちろん、伊勢神宮伊勢うどんなどご当地の名所、名物には一通り触れている。
しかし、三重県の夜は早い。
神道の縄張りにでも守られているかのような夜の静けさだ。
それでも、若者たちの集まる場所はあって、街は華やいでそして緊張感もあった。シャッターを押している間もさりげなくこちらを向いてくれる瞳に嬉しく思った。

和歌山にはお目当ての場所があった。「天王新地」
今まで様々な場所を旅していたが良い意味で裏切られた場所はここくらいだろうか。詳細は割愛するが、ここにどんな理由で居るのかしかし踏み入ってはいけない理由を感じられる女性が玄関越しにこちらをを見た悲しげだけど何か秘事のある瞳が焼きついている。

30代も中盤になると、週末の東京通いにも慣れて一定のコミュニティもできたし、写真仲間が大勢で来ていた。
この頃になると夜の街でシャッターを切ることと昼間の地方都市でシャッターを切ることに何の抵抗もなかった。
ある日、自分の写真を見た仲間が「面白い書店があるよ」と言って連れて行った場所があった。吉原にあるその手の人たちには有名な書店だった。
自分の目的としていた夜の地方都市と、風俗の関係性。点と点がつながった気がした。
多分、それって必然だったような気がしてならない。

それからは旅のスタンスが定まっていた。
「新宿」「渋谷」「六本木」は主にStreet Photoshoot
地方旅行は、残存している艶を写真に収めることがスタンスとなった。
もちろん地方に出ても夜のPhotoshootもしている。

各地方都市での写真は徐々にUPしていく。

スタンスができたけど、カメラも撮り方も変えたことはない。
撮り方知らないだけなんだけどね。

旅についてはこのくらいにしておこう。

次回はコーヒーについて。

カメラについて

カメラについて書こうと思う。
初めてカメラを持ったのは「写ルンです」だろう。
高校生の時に、36枚撮りの使い捨てカメラだった。
ダイヤルを回してシャッターを押す。
とにかく楽しかった。授業の最中。体育の時間、校内の行事。
毎日1枚撮って休みの日は2枚撮る。
月末にフィルムをコンビニに出して次の月初にアルバムに保管するのが日課だった。
ただそれだけ。
高校を卒業して大学に行った。アルバイトに精を出しすぎて結局中退したけど。
アルバイトで買ったカメラは中古のRICOH GR10だった。
デジカメがまだ高価だし、PCも持っていなかった。当時は携帯電話も折りたたみ式。iモードたるサービスが始まった頃だった。
田舎育ちの自分には、夜の繁華街が奇抜だったのを覚えている。
大学は北海道札幌市の某Fラン。
授業よりもススキノだった。
アルバイトを朝方までこなして酔っ払いを写真にして帰宅する。
起きるのは夕方。そんな生活をしていたら学校なんて通わなくなるのは目に見えていて、当時はそれはそれとして何とかなるように思えた。

大学を辞めてとにかくアルバイトだった。
昼間はコンビニ、夜はPUBのカウンターと、写真を撮る暇もなかった。
俗にいうフリーター生活を5年程続けた頃、そういえば北海道の自然は見ていないと気付いて帯広へレンタカーで向かった。
GR10と大量のフィルムを持って。
景色って良いもんだと思ってもシャッターを切れない自分がいた。
何だろう
「これじゃない」感じ。

フリーター生活は今の自分にとっては良い経験だった。
色んな出会いもあったし、色んな恋と愛の形を覚えた。
その時々に写真があればなと今は後悔もある。
その数年間はシャッターを切っていなかった。

26歳頃だったろうか、
家電量販店に寄った。
何気なく通ったカメラコーナーに奴はいた。
RICOH GR Digital」だった。
GR10もそうだったが、28mmの単焦点。黒で無骨でコンパクト。
「これで何とかなる。」
根拠はなかった。何の考えもないまま。
なけなしの貯金を崩してかった。
それからは、毎晩毎晩ポケットに忍ばせ街行く人にシャッターを切った。
見知らぬすれ違いの空間があっという間に思い出になった。
常にポケットにはGRだった。
そしてGR10との撮り比べそんな毎日。

28になって田舎に帰った。
やることもなく、仕事もとりあえずの工場派遣。
休憩室で相棒を取り出しそっとシャッターを押す。
たまに東京へ行って街行く人を撮る。
そんな日々。
あるギャラリーを見つけるまでは自分と同じことをしている人の存在なんて頭になかった。写真家にも興味はなかったし、写真は自分の分身としか理解していなかった。
森山大道」の写真を見るまでは。

その衝撃は今でも覚えている。
The CLASHのLONDON CALLINGのジャケットのようにギターを床に叩きつけるような衝撃が襲ったのを覚えている。

そこからあのは「新宿」「渋谷」に行くのは何の苦ではなかった。
毎日朝から日が暮れるまで撮った。ブレ・ボケ、露出そんなの関係ない。
F4絞り優先AUTO、最低限の設定。それで十分だった。
そして、派遣先で給料の良いところを見つけては色々な地方を転々として、現在はここ富士山麓に根を下ろした。

仕事も不満は無い。土日はカメラを持って街に出る。
そんな日常を過ごしている。
カメラもRICOHからFUJIFILM X100Fになり、相変わらず人を撮っている。
長期連休は1人で色々な場所へ旅にでる。
相棒と一緒に。年に一度は妻を連れ立って、旅行に行く。
コロナ禍の世界は想像していなかったけど、今も撮りに出かける。
マスクの下の笑顔を探して。
街行く人に感謝を込めて。空気のように写真を撮る。
STREET PHOTOは時には残酷だけど、いたずらに人を撮ることはしない。
そこに魂を込めている。
被写体に愛を込めて。

少し雑だけど、そろそろ終わりにしたい。
写真は、近いうちに公開したい。

NOSA0544

初めに。

文字を書くことは非常に苦手で、何を書くのか。何を伝えるか非常に困難なことである。


まずは自分のことを少しだけ話しておこう。
1980年生まれの40歳。
普段はしがない中間管理職。上もいて下もいて、中途半端な決裁権を持っている。
職業柄、人と常に隣り合わせである。
年収だったり、世間体も特に不満はない。
妻はいるが、子供はいない。
常に話すのは、「お互いが死んだ時、宵越しの金は持たない。」がモットーである。
同世代の妻との間に子を持つことは早々と諦めた。
同棲は5年以上と長く、結婚しても新鮮な新婚生活というよりはお互いに今から夫婦というものに違和感を感じた。
共働きで、妻は自営業。結婚して10年経つが、休みが合うのは正月くらいだ。
しかし、この生活には満足してるし、妻には非常に感謝している。

そして、ブログは自分の「好き」を諦めない為に始めた。
自分の「好き」は何か。
・写真(撮る方)
・国内旅行(1人)
・珈琲(豆買って挽いて淹れる)
と、アナログレコード
この3つ(+1)が大好きだ。
収入が3分の1になっても優先したい。(妻も了承済み)

ブログ自体この3つが中心となっていくだろう。

上に書いた3つの好きなこと+αについて少しづつ更新していければと思っている。